チェ・ゲバラの生きた時代(没後40年)

ゲバラ日記 (角川文庫)米国一国による世界支配の野望に多くの国と市民が屈従させられ、「反テロ」の標語は黄門さんの印籠のように問答無用の響きを持って私たちの生活の隅々まで浸透してきているかのよう。
こんな時代、いつもでも続くはずはないよねと自問自答する、そうした思いの裏には私たちが若かったリベラルな時代の記憶がある。

その60〜70年代のリベラルな時代に燦然と輝いていた星の1つがチェ・ゲバラであったことを否定する人はいないでしょう。
今日10月9日はチェ・ゲバラが「数多くのベトナムをつくるために」ボリビア山中でのゲリラ戦の展開中、CIAの手先に捕らえられ銃殺された日。
1967年のことですから、40周年ということになります。

キューバはもとより、故国アルゼンチンを含め南米の至る所で追悼記念が行われているようです。
キューバ本国では遺骨を納めたサンタクララの霊廟前で追悼記念式典が執り行われるようですが、残念ですが同志フィデル・カストロの姿はそこにはありません。

没後40周年、キューバ革命50周年、と、時を重ね、若者のTシャツに印刷されたチェ・ゲバラのベレー帽姿は今も色褪せはしないものの、若者たちの口からチェ・ゲバラが熱く語られる事などはもはや無いのかも知れません。

しかしチェ・ゲバラが遺したのはTシャツに印刷されたファッションの世界における1つのアイコンだけではないでしょう。
彼の革命思想とその生き方はもはや過去のものという訳知りの解説は40年という時間の蓄積を考えればもっともらしく聞こえるかも知れませんが、米国一国による世界支配の野望が成就されていくだろうといった妄想と同じ程度に嘘です。

チェのように革命軍を率いて武装闘争を指導し、革命政権を打ち立て、その後国境を越えて不正のあるところへと旅を続け、パッシブな反戦運動ではなく、アメリカ帝国主義に果敢に闘うベトナム民衆を励まし続け、世界至る所に「数多くのベトナムをつくるために」闘い、そしていつの時も鋭い洞察力で情勢を分析し、戦略を練り、倫理的で自己に厳しい一方、同志にも民衆にも常に愛情に満ちた関係を作ることのできる人間 ─ 英雄という尊称がこれほど似合う人物。革命後もどくへ行くのにも軍服にベレー帽とひげ面。葉巻をくゆらす口元も美人が通ると鼻の下を伸ばしていたという人間くささ。

このような非凡な人物がまた再び現れるとは思いませんが、しかし人は時代が作るものでもあるでしょう。
ソ連崩壊、新自由主義経済の跳梁跋扈という世界の潮流は明らかに国と国との関係、人と人との関係性をより貧困に脆弱にしつつある現在、この混沌とした闇夜をぶち破り、ミネルバの梟が飛び立つのを待つ、じりじりとした時代なのかも知れません。

もとより、新たな時代を切り拓くためにはチェのような英雄の登場も求められるでしょうが、まずは彼が遺した足跡をセンチメンタリズムに回顧するだけではなく、いくつかの論文、書籍に彼の思想を訪ねることからはじめることも意味のあることでしょう。

*来たる2008年12月はフィデル、ラウル両カストロらとともにキューバ革命を成就させる突破口になったキューバ第2の都市・サンタクララへの進撃から50周年になります。

*『ゲバラ日記』は、現在では 角川文庫がもっとも入手しやすいでしょう。
artisanyuh * 社会の時間 * 23:23 * comments(5) * trackbacks(0) * pookmark

大相撲の近代化?(形容矛盾だ)

17才の大相撲時津風部屋・序ノ口力士の時太山さんが名古屋場所に臨む宿舎の稽古場で急死した問題は、日を追うごとに大手メディアも主要記事として取り上げるような日本相撲協会を揺るがす大問題へとなってきているようです。

このBlogでは朝青龍(問題)についての記事のコメントにおいて、メディアがほとんど取り上げていない段階で朝青龍(問題)との関わりから私は次のような内容のコメントを残しています。
‥‥この6月に17歳の新人力士が部屋で死亡した事件がありましたね。骨折の他、遺体には耳が裂け、たばこの火傷の跡まであったと言います。一部週刊誌が伝えただけで、「朝青龍問題」に過度に熱心なTVメディア、新聞などは全く触れていません。
また八百長疑惑はどうなったのですか?
まさかそうした相撲協会の闇を覆い隠すための方途として、横綱がスケープゴートにされているということでは無いのでしょうね?(07/09/10)


この時期の大相撲に関するメディアの注目はただ1点、朝青龍(問題)のみでした。
おおげさではなく日本全国で洪水のような朝青龍“パッシング”が吹き荒れたのでしたが、この一陣の突風が過ぎ去ったかと思えば、今度は新人力士の急死をめぐり師匠の時津風親方への攻撃の嵐です。
こうしたメディアの一極集中的洪水のような、しかも似たり寄ったりの視点での報道には辟易するばかりですが、今日はメデイア批評ではなく、問題の本質に少しでも迫っていきたいと思います。

既に前述のコメントで指摘しているように、この問題は「相撲協会の闇」であったものが、被害者力士の父親の告発を機に白日の下に暴き出されつつあるということで喜ばしいことです。

ここでは事件の経緯を追うつもりはありませんが、感想めいたことを記述しながら少し考えてみます。
あらかじめ論旨を上げるとすれば「大相撲のタコ部屋的弟子育成」、「スポーツ界にはびこる暴力システム=日本の軍隊システム」という側面からのものになります。
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artisanyuh * スポーツの快楽 * 22:51 * comments(3) * trackbacks(0) * pookmark

ビルマ「反軍政」運動への武力鎮圧を許さない

ビルマ(ミャンマー)のヤンゴン市内からは、市民の姿が消え戒厳令発令下のような状態とのこと。
夜間の外出禁止令が出ているのは確かですが、「戒厳令」が発布されているわけではありません。
27日の僧侶、学生、民主化勢力、他多くの民衆らによる10万人規模の「反軍政」の緊張の中にも整然としたデモンストレーションは、その後治安維持部隊により武力制圧され、地方都市での散発的なデモが見られる程度で、多くの市民は硬く扉を閉じてしまったかのよう。
軍政側が発表した武力弾圧による犠牲者は10人ということですが、多くの市民からのインターネットカフェから国境を越えて伝わった目撃情報によれば、この数字をはるかに超える犠牲者が出ている模様。
しかしこのネットからの発信も軍政は28日から遮断し、外国の報道陣もビザが下りず立ち入ることの出来ない状態で、現状把握は困難。

確かなことは日本のメディアが突然のようにこの問題を大きく取り上げ始めたきっかけになった報道カメラマン長井健司さんの射殺(軍政側発表の流れ弾ではなく、至近距離からの治安維持部隊による発砲によるもの)に典型されるように暴虐な武力弾圧が吹き荒れてしまっていること。
一部の報道では軍は刑務所の長期服役している囚人を塀から出し、彼らを武力弾圧の尖兵として使嗾しているとのこと(応ずれば刑期を短縮する。今朝のTV朝日/サンデープロジェクト)。

アムネスティー・インターナショナルをはじめ海外の多くの人権団体が抗議の声明を出し、メディアの多くもこれに続いています。
また昨2006年夏のレバノン紛争の際の停戦要求が手間取り、犠牲を増やしてしまったことへの反省から国連、潘基文事務総長も後れ馳せながらもガンバリ氏の特使派遣をしています(29日)。

しかしどうも隔靴掻痒と言いますか、これらの国際的な人権非難の抗議、あるいは調停も今のところ奏功しているようには見えません。
国連の安保理もあまり頼りにならない。北朝鮮へ下された時のように制裁決議が出される期待も無理な話のようです。
何よりも常任理事国の中国はこの軍政へ属国化のような蜜月関係にあり、民主化への国際的圧力を受け入れようという人権感覚、寛容さは見られません。
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artisanyuh * 社会の時間 * 23:12 * comments(0) * trackbacks(1) * pookmark

ヤンゴンは燃えている

ビルマ(ミャンマー)の首都ヤンゴンを中心に、5週間前からはじまった反軍政デモは24日には10万人が街頭を埋め尽くし、燎原の火のごとくに鎮まる様子はありません。
当初は燃料価格高騰への抗議へのものであったようですが、今では「反軍政」の政治スローガンを掲げ、しかもデモの中心は僧侶たち。これに学生、市民が我も我もと続いています。
少数民族の代表も加わっているという報道もあり、まさに各界各層、広範な人民が起ちあがっているようです。

TVから流れる現地のデモは整然としたものですが、しかし既に200人以上が身柄拘束され、拷問も受けているとのこと。(「ビルマ政治囚支援協会」)
彼らは17年間にわたって自宅軟禁されているアウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi ノーベル平和賞受賞者)さん率いる「国民民主連盟」(National League for Democracy、NLD)の党員、および民主化運動時代の活動家らということです。

この広範な層を糾合しているデモもまだまだ拡がっていく気配があります。
多くの人々は軍政への怒りが頂点に達しようとしているのでしょうが、軍への恐怖から街頭に出ることをためらい、家の中で祈っているだけの人が圧倒的だろうと思われます。
しかし、こうした民衆の「倫理的権威」の僧侶たちの決起は多くの人々に勇気を与えていることでしょう。
日本の仏教界とは違い、地域における日常生活の隅々まで仏教的倫理観が規範となっている国ですので、軍政下にあって社会政策の停滞が蔓延する中、さまざまな社会福祉事業、医療サービスなどでこれを埋めている仏教界への信頼は絶大なものがあります。

これに対し軍事政権はこの事態の局面打開、つまり強行制圧へ向け、謀略を画策しているとの報もあります。
ミャンマーの軍事政権は兵士に対し、頭髪を剃るよう命じたほか、3000人分の僧侶が着る服を用意するよう命じた
(ロンドンに本拠を置く活動家グループの「ビルマ・キャンペーンUK」が関係筋の話)【REUTERS】
良くある手法でしょうが、僧侶のデモ隊へ兵士を紛れこませ、挑発させようという魂胆。

米国ブッシュもさすがにこの反軍政デモへの強行弾圧は許せないとばかりに、今日の国連総会、一般討論演説で、この問題を取り上げ、軍政への制裁強化策の方針を表明しています(読売

周知の通り、日本もビルマ(ミャンマー)現軍事政権を承認し、様々な形で援助している訳ですがぜひ実効ある抗議の処置を執ってもらいたいと思います。
(注:25日の外務報道官談話「「ミャンマー政府が、デモに示された国民の希望を踏まえつつ、国民和解、民主化に向けた対話を含む真剣な取り組みを行うことを強く期待する」)
artisanyuh * 社会の時間 * 00:23 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

時には民放TV番組を (カミカゼ特攻隊)

戦争秘話と言えばよいのか、18日(火曜日)の民放TV番組には、めずらしく見入ってしまいました。
あまり良い慣習ではありませんが、TV視聴は食事中にするのが基本になっていますが、この日も食事しながらチャンネルを回していたら笑福亭鶴瓶が仕切る番組があり、何気なしにリモコンから手を放して見入ってしまいました。
「鶴瓶のニッポン武勇伝 言わずに死ねるか!我が家のスゴイ人GP」という番組だそうですが、今週の特集は「カミカゼ特攻隊から生還したスゴイ人 !!」。というもの。

例によってタイトルもすごければ、構成、内容も過剰な脚色で、しかも戦争美化のお涙頂戴的番組だろうと斜に構えて見始めたのでしたが、「再現ドラマ」も含め、どうしてなかなか史実に忠実に構成、脚色されているようでした。
当初の斜の構えから姿勢を正し見入ってしまったというわけです。

番組内容としましては、特攻隊員として出撃したが、米軍機から被弾、かろうじて逃げ切るも、燃料切れで不時着、こうして九死に一生を得た浜園重義さん(84歳)へのインタビュー構成を軸として、この方が体験された戦場実話を元に再現されるというものでしたが、この構成上の要因が精神論的で情緒的な賛美に堕することなく、史実に沿う形で、批評精神に富み、より迫真的な内容として貫かれたものだろうと思われます。

私は“カミカゼ”と呼称され米軍から怖れられたいう戦争末期の特攻隊に関して、一般的な認識ぐらいしか持っていなかったのですが、昨年小熊英二氏の「民主と愛国」という大著を読み進めるうち、少なくない分量で戦争の実話(兵士の証言などに根拠をもつ)が引かれていましたので、その実相の一端を知るに至りました。
その中から関連するところを数カ所孫引きしてみましょう。
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artisanyuh * マスメディアを考える * 22:51 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

安倍退陣と私たち

安倍クンの突然の退陣劇は、開会中の国会を休止に追い込み、メディアはもっぱら次期総裁・総理をめぐっての“小田原評定”、ではなかったか、“茶番の出来レース”状態というのが正しいか。
一連の事態を眺めていると、何と日本の政治風土の醜悪なことかと、夏を見送ったばかりというのに心底、身体が冷え冷えとさせられるものです。

メディアは退陣表明のその異様なタイミングの理由をめぐって喧しく、また今朝の『週刊現代』の巻頭にきている《緊急ワイド 安倍晋三「相続税3億円脱税」疑惑》という取材記事は安倍辞任への決定打とも思えるダイナマイト級醜聞の暴露記事になっているようです。

しかし安倍辞任をめぐるメディアの論陣はもっぱら政局を語ることではあっても、その意味するところの本質をえぐるような内容はまだ少ないようです。

23日に自民党国会議員、地方党員により投開票され選出される次期自民党総裁(=日本国総理)も、小泉、安倍と続いた「カイカク」の名で隠された新自由主義的政治経済政策を基本として踏襲していくことにおいては何ら替わるものではないでしょう。
ただ参院選大敗の大きな要因となった経済格差、地方の格差、弱者切り捨て、という日本の構造的疲弊を放置したままでは来る衆院解散、総選挙への展望は見えないでしょうから、一定の弥縫策を打ち出していくことになるのでしょう。

しかし保守の立場からしてもそうした自民党支配の延命を掛けた弥縫策では、心身共に打ちのめされた安倍の苦渋から解放されることにはならないのではないでしょうか。
究極的に言ってしまえば既に小泉以前において“戦後自民党支配体制の終焉のベルが鳴り響いている”のであって、この基調の下その後の「小泉カイカク」は米国一極世界支配体制への順応へとそれまでの日本型保守政治を大きく変節させることで延命し、しかし当然にもこの「カイカク」によってガタガタにされた保守政治基盤というものが露わになったのがさきの参院選大敗であったわけです。

一方の安倍は右翼政治家A級戦犯であり、昭和の妖怪と呼称された岸信介の孫として、ただその正当な継承者として自らを押しだし、「戦後レジームからの脱却」をスローガンとし、戦後の首相としては初めて公然と「改憲」を日程へと登らそうと「国民投票法」を強行採決したのでした。
しかし安倍も首相就任への生みの親が小泉であったことは幸福ではあったものの、逆にそのために小泉カイカクの頸木からは自由にはなれず、「カイカク路線」を貫徹することで、いよいよ国内のあらゆる生活経済基盤は崩壊に貧し、外においてはナショナリストにして「日米同盟」を語る親米論者として振る舞う、という二重三重のパラドクスを演じざるを得ない宿命にあったのです。

どこまで自覚的であったかは知りませんが、まさに股割き状態で宙に吊されてしまっていたようなものです。
政治的センスも、能力も残念ながら備わっていたとは思えない人物であったことも不幸でしたが、自民党支配体制の終焉を直感的に気づきながらも、これを根幹から立て直そうとあがいてはみたものの、その手法はあまりにも愚直(=稚拙)でアナクロなもので、とても戦後60年を経ているという時代に適合性を欠く政策、戦術しか取りえなかったのでした。

それともう1つの不幸は、安倍政権誕生後の世論調査などでの70%を越えるという民衆の圧倒的とも言える支持が集まったことでしょう。
この支持に担がれ、戦後生まれの初の首相として我こそ宰相なりと颯爽と表舞台に現れたのでしたが、何よりもそれを待ち望んだのが我らが民衆だったのです。

そして今また、水に落ちた犬を叩けとばかりに、わずか1年も経たずして掌を返すような仕打ちで迎え、突然の辞任劇という無責任をなじるのです。
70%という支持を与えた自分たちの責任はどうなってしまったのでしょう。
TVメディアの影響が年々大きくなってきていることもありますが、政治というものが視聴率争いと同レベルの人気投票のごとくに評価裁定されてしまうという、本来の政治の在り方からして、とても危機的な傾向を強く滲ませていることは自覚せねばいけないのではないでしょうか。

一方参院選において敵失と言う要因が大きかったとはいえ、圧勝した民主党が政権交代へと大きな盛り上がりを見せるのは悪いことではありませんが、しかし「政治とカネ」「年金」だけを語り、大文字の政治(日米同盟をどうするのか、北東アジアとの関係をどうするのか、北朝鮮などとの戦後賠償をどうするのか、小泉カイカクとは異なる経済戦略はどのように‥‥)を語ろうとはしていません。むしろ呉越同舟と言われる党内構成の事情から、あえて避けているということであれば、小泉、安倍を本質的に批判する資格があるとは思えません。

総裁選が終われば、自民党新総裁の下「テロ特措法」をめぐる攻防が繰りひろげられていくことでしょうが、インド洋で支援を受ける米国の議会では、既にイラクからの出口戦略を巡って大きく動いてきているというのに、恐らくはそうした時代の趨勢すら読めないであろう自民党新総裁を担ぐ自民党も「終焉」の最期を看取る覚悟を持つべきでしょうし、これに替わって政権を担おうとする民主党にも、真の意味でその気概を持って欲しいものだと願わざるを得ません。

そしてこの願いを叶える条件があるとすれば、言うまでもなく私たちひとり一人の射程の長い思考であり、批評精神であることは間違いありません。
artisanyuh * 社会の時間 * 22:38 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

安倍首相の自滅的引責辞任に見る“宰相去就の美学 ? ”

【絶句 ! 】
辞任をしてくれたのはまことに結構なことですね。
1年に満たない宰相の座でしたが、全く良いことのない政権運営のなかで唯一「良く決意したね」と褒めてあげたいところですが、残念ながらあまりのはちゃめちゃぶりに開いた口が塞がらない。この事態にふさわしい言葉を充てるとすれば《?? 絶句》

しかし私のような凡夫には分からないことばかりの人でしたね。
自身が政権を握って初めての民意を問うさきの参院選において大敗を受けたにもかかわらず、「政策への否認ではないので、カイカクを進め、人心一身をもって臨む」とし、自身はその地位にしがみつくという分からなさ。
そして何よりも臨時国会を召集し、施政方針演説を終え、代表質問を1時間後に控えたまさにその時に“辞任”が伝えられ激震が走るというそのタイミングのあまりの悪さという分からなさ。

【国民不在、国会軽視のタイミング】
国会軽視も甚だしい暴挙です。かつて国内政治史においてこのような暴挙があったとは思えませんし、誰一人としてこの時期の辞任を想定した人はいないでしょう。誰しもが耳を疑ったに違いありません。
自身は政権をほっぽり出し、ケツをまくりせいせいしちゃったかもしれませんが、政権党・自民党の上を下への大騒ぎはもとより、野党、そして取り残された市民のオドロキをどのように受け止めているのでしょう。
あるいはまたさきのAPECで「対テロ法案の延長」を“対外公約”と大見得を切った一国の政治指導者としての対外的信頼は地に落ち、「日本という国の不思議さ」、こんな無責任男を宰相に祭り上げている「日本国民の民度の低さ」が露わとなり、いよいよ世界的舞台での劣勢を甘んじて受けなければならないでしょう。

しかしそれにしても辞任を決意した理由が「テロ特措法」を何としても通すための“局面打開”と言うのですが、無論それもあったでしょうが、辞任に追い込まれた最大の理由は「格差社会のさらなる進行」であり「国会議員のカネ」の問題であり、「年金をめぐる底なしの不祥事」あるいはころころと大臣が辞任に追い込まれる「人事」の問題であったわけですが、こうしたことはおくびにも触れないところに市民感情とは大きくかけ離れた安倍くんらしさがあると言えるでしょう。
辞任記者会見では国民向けの謝罪の言葉など見あたらないところにもそれは示されています。

ま、しかし安倍くんの良く分からぬ思惑、心中などは、さっさと政界から引退してもらい“回顧録”ならぬ“自省録”でもしたためてくれたらそれで良いでしょう。
様々な不祥事、政権運営の強引さに、「まだ若いから‥‥」「経験不足だから‥‥」と同情する向きもあるのでしょうが、さきに防衛大臣を投げ出したK女史のように「アイ シャル リターン」などと未練がましくつまらぬ欲望を見せることなく、さっさと“美しく”引退してもらいたい。
それが彼自身が好む“美しい”出処進退の在り方でしょう。

【日本をダメにした1年】
さてわずか1年間という政権の座とはいえ一国の首相の辞任という事態ですので、振り返ってみることも必要ですが、その任でもありませんから、今日のところは簡単に感想めいたものを‥‥。

何よりもこの1年間というもの、日本という国と、民の生活、社会関係はずたずたに引き裂かれ、展望無しの荒んだ状態に陥ってきています。
圧倒的人気を誇った小泉首相の勢いを買って後継首相として就任し「美しい国」などという政治の言葉ではない極めて曖昧な情緒的言説で人心を惑わせつつ、その実、度重なる強行採決に象徴される国会軽視の運営と傲慢さ、人事をめぐってのゴタゴタも何か我関せずを決め込み、与党との軋轢を深めるなど、その政治的センスには首を傾げるばかり。極めつけは上述した参院選大敗をめぐる辞任拒否とその理由でした。

【拉致問題はどうだったの】
彼が就任時70%を越える支持率を誇った最大の政治理念が拉致問題の激越さにあったと言われていますが、どうでしょうか。果たして拉致問題の解決へ向けて半歩でも進めることができたのでしょうか。
如何に家族会を初めとする関係者からの熱い眼差しを受けてその先頭に立って吠えているもの、解決へ向けての実効的な戦略、戦術が提示されてきた節はありませんし、その実相は6者会議の場における日本だけが蚊帳の外状態、に象徴されるように、拉致解決などは安倍くんにとっては単なる政権浮揚のための方便に過ぎず、むしろ解決させずフリーズ状態に留め置き、北東アジアを不安定状態におきつつ、それを奇貨とし憲法改悪、核武装を含む軍事化路線へと突き進むというのが、真のねらいであったことがいよいよ明らかになってきたと言えるでしょう。
(辞任会見ではこの拉致問題については全く触れることはありませんでしたが、家族会の方々を前にして、どのように弁明するのか見物ではあります)

しかしそのどす黒い目論見は、果たして、破綻してしまったというのが今回の辞任劇でした。

さて、本人はどこまで自覚的であったかはもはやどうでも良いことですが、次期政権はまさに衆議院総選挙不可避の流れの中、選挙管理内閣、暫定政権としての組閣となっていくのでしょう。

【反安倍、言説・運動への感謝】
まずは安倍政権の崩壊、自滅をともに歓び、こうした事態へと追い込んだ多くの人々の弛まない言説、活動に敬意を表したいと思います。
まだまだ日本も捨てたものではないな、というのが偽らざる感想です。
ありがとうございました。
artisanyuh * 社会の時間 * 22:09 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

9/11WTC、6周年

9/11WTC(ニューヨークのワールドトレードセンター)6周年を迎えていますが、ブッシュのみならず多くの米国人、さらには世界の人々の中には固唾を呑んで何か起きやしないだろうかと怯えている人も少なくないはず。

ブッシュに言わせれば9/11以降の世界中を巻き込んで展開している対テロ戦争の効果は徐々に発揮され、世界はテロの脅威が押さえ込まれ、安定してきている、と強弁しているようですが、言われるところのテロの脅威は押さえ込まれるどころか、いよいよ世界に拡散し、より不安定な状況を呈しているというのが大方の受け取られ方ではないのでしょうか。

9/11WTCはウサーマ・ビン・ラーディンが放ったアル・カーイダの仕業とされていますが、実は米国、チェイニーらネオコン指導層による“やらせ”、あるいはそうした攻撃を受ける危険性の情報を得ていながら容認した、といった“謀略説”というのがまことしやかに語られ、一定の支持を受けていると言うことのようです。
第2次世界大戦の口火となった真珠湾攻撃は実は米国ルーズベルトは事前に察知していて(日本の外交暗号はほぼ解読されていたという根拠をもって)有効な反撃準備を放棄していたという陰謀説が一定の説得力を持たせているように‥‥。

今やイラク先制攻撃の根拠となった大量破壊兵器の存在は全くのでっち上げであったことはブッシュ政権自らが認めざるを得なくなっているように政権への信頼は地に落ちていますが、「9/11はブッシュ政権の自作自演だった」という謀略説もそうしたブッシュ政権をめぐる様々な事柄の正当性が揺らいできている中、あり得ない話ではないだろうとも思えてきます。

加えて9/11WTCに関する情報にはいくつもの疑念があることは認めざるを得ないとは思うものの、私は未だ“謀略説”にただちに同意できる立場ではありません。

しかし100歩譲って例えそうした“謀略説”の方が真実であったとしても(こうした事柄は知り得る立場にいる極々少数の特定の人物が明かさない限り解明されることなく歴史の闇の中に封じ込まれていくというのがほとんどかもしれない)、9/11以降、現在に至るまでの米国の世界支配戦略がネオコンの思惑通りに進んでいるかと言えば、決してそうではなく、むしろことごとく破綻しつつあるというのが実は現実に近いのではないでしょうか。
こうした状況を見たとき、如何に突出した政治経済力を誇る米国の 圧倒的パワーポリティクスを持ってしても、中東イスラム諸国の隅々にまでアメリカ型“民主化”を貫徹させようという傲岸不遜さはその地域の住民に受け入れられるどころか、全く逆にこれを拒否し、イスラム原理主義の台頭とアル・カーイダを語る過激分子の世界的拡散を招いてしまっていることは、米国ネオコン信奉者にとって皮肉と言うよりもあまりにも悲喜劇的すぎる話です。

今夕のNHK「クローズアップ現代」はパキスタン・ムシャラフ政権の危機がテーマでしたが、米国にとって中東イスラム東端に打ち込んだはずのクサビも「神学校への強行突入」を契機とする反ムシャラフ勢力の台頭と迫る大統領選の展望無し状態は、いよいよ米ブッシュへの中東政策の破綻を推し進めることが必至となっているようです。

米国ではさきの中間選挙におけるブッシュ共和党の完敗を期に、議会ではイラクからの出口論が喧しい訳ですが、1月の増派も全く功を奏せず、イラク国内の治安悪化を押しとどめるどころか、民衆からの怨嗟の眼差しは強まる一方のようです。
恐らくは政権が継続する限りは撤兵へとは大きく動くことはないのでしょうが、来年末の大統領選において共和党が政権を維持することの困難さを考えたとき、イラクからの撤兵・米国の中東戦略の本質的見直しに迫られることは必至となるでしょう。

さて我らが宰相・安倍クンは相も変わらず「価値観外交」「主張する外交」の中核に「日米同盟」を位置づけ、とことんブッシュにしがみつこうとあがくばかり。

今次臨時国会で焦眉の政治課題となって浮上している「テロ対策特別措置法の延長問題」とこれへの安倍クンの「職を賭す」発言は、政局絡みで捉えられがちです
が、全く正当性を欠き、展望のない米国の中東戦略に日本が無批判に追従していくのかどうなのかということが問われている問題だろうと考えています。

9/11WTCという米国なるものへの批判が込められた鮮烈なメッセージと、その後の「対テロ戦争」の現在とその行方を考えたとき、地域的にも歴史的にも依って立つ価値観が多様なこの地球上の国々と民衆を1つの価値観とルールで支配しようというとんでもない暴論は人々に支持されないどころか、いよいよ世界を混迷と動乱の時代へと幕を開くものであることがイラクを初めとした戦場に横たわる累々とした屍の先に見えてきています。

実は日本もここに深く関わり、連なっているということを自覚するためにも9/11WTC、6周年の意味することを考えてみたいと思います。
artisanyuh * 社会の時間 * 22:47 * comments(2) * trackbacks(0) * pookmark

無念 ! 映像作家・佐藤 真さん死去

一昨日(4日)、病気療養中のところ、都内の病院近くの団地から飛び降りる。
知りませんでしたが、昨年来鬱病に罹患し、療養中だったとのこと。

私が佐藤真(さとうまこと)さんを知ったのは『阿賀に生きる』という作品を観てからのこと。15年ほども前になるでしょうか。
この映像作品は「芸術選奨文部大臣新人賞」として広く知られるようになりましたが、その後はあまり接近すること無く推移したのでしたが、昨年公開された『エドワード・サイード OUT OF PLACE』は東京九段会館での公開記念講演会「完成記念上映会+大江健三郎講演会」(2006年4月29日)にまで出掛け、映画と共にその肉声に触れることができたのでした。

これもたまたま手に取ったその頃に新しく創刊されたばかりの雑誌『at あっと1号』で撮影活動中のご本人からの記事「流れ続ける 一まとまりの潮流として」に触れたことがきっかけでした。

当時並行的にアクセスしていた中野真紀子さんのサイトからの情報とも重なり、これらに導かれるようにエドワード・サイードの人とその思索へ接近していく道筋であったように思います。

佐藤真さんの心の内など知る術などありませんし、困難を極めたであろう取材、撮影活動に携わった者でしか踏み込むことの出来ない深淵をのぞき込むこともできぬ相談です。

しかし私は彼が残した映像作品にアクセスすることは可能です。
より混迷を深めるパレスチナ情勢を解きほぐす導きの1つの手法として佐藤真さんが残した映像に描かれたパレスチナ民衆と、サイードの家族たち、そしてそこには描かれない諸々のことなど、それらの断章に接近することで佐藤真さんの思索へと近づけるかも知れません。
心からご冥福をお祈りします。合掌。


■ 佐藤 真 氏プロフィール(SIGLO社サイト

■ 関連過去記事
映画『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
映画『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
「融合と進化」マリアム・サイード
「教育基本法」改悪と大江健三郎


■ 追記(07/09/09)
佐藤真さんに交流のあった方々から多くの弔意が寄せられていると思いますが、「森達也」さん(映画監督/ドキュメンタリー作家)のWebサイトの「巻頭コラム」では「同志」的紐帯を感じさせる弔意がありました。(こちら
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「朝青龍という問題」

二場所の出場停止、謹慎、減俸。
このかつて無かった横綱への過酷な制裁はメディアを賑わし、そのほとんどの論調は口を極めた朝青龍への難詰。いやパッシングとも言える言葉の暴力の嵐です。

このスポーツメディアのフレームを大きく越えた“世間”の状況は決して普通ではない特異なものと映じて仕方がありません。

私は相撲については一般的な認識しかありませんし、相撲協会の力士への制裁の基準というものが、土俵上ではないところでの”不祥事”に、〈引退勧告〉にも近いような過酷なものを与えるというのが、果たして正当なものなのか判定するものを持ちません。

目にするメディアのアナウンス、評論家という名の非専門家たちの口を極めた力士への悪罵からは、それらへの疑義は全く封じられても仕方ないもののようです。

ただ現在のような状況では、一人横綱を長年続け、圧倒的とも言える力強い相撲ぶりで横綱を張ってきた力士に対する真っ当な制裁であるのかは私としては、納得の行く説明とは聞こえてこないというのが実感です。
むしろそこに見えるのは“ヒール”(悪役)への根拠薄弱な悪罵であり、このエントリーのような疑義というものを許さない強い〈同調圧力〉であり、あるいはモンゴルからの出稼ぎ力士への隠然たる差別に根付いたパッシングという嘆かわしい今の日本という国を覆うくぐもった汚れた空気感なのです。

確かに彼は腰の疲労骨折などを理由に夏巡業の休場を届けながら、母国に帰ってサッカーのイベントに出場しました。このことはあまりにもその行動規範において問題があったことは論を待たないところです。
しかしこれを理由として制裁するのであれば、診断書を書いたドクターの責はどうなのか、あるいは過酷なプロスポーツの場で痛めた腰の疲労骨折とサッカーに興じる身体への負担の差異はどうなのか、そうしたことが子細に検討された節はありません。
ただテレビではうるさく言っているし、“国技”という体面からしてほっとけないからなぁ、といった程度の判断を持って、かつてない過酷な〈引退勧告〉にも近いような制裁を加えることが制度上でも、理念からしても、果たして正当なものであるかどうかの疑義は挟ませていただきたいものです。

横綱に求められるという“品格”というものを、こうした制裁から備わるであろうというのは絵空事でしかないでしょう。
プロスポーツのアスリートに求められるのは、まずは1にも2にも何よりも横綱としての圧倒的な強さを維持する日々の練習と鍛錬。
この基本をなくして“品格”などというものが備わるものではないでしょう。
朝青龍には小兵でありながらも日々の鍛錬とともに勝負への執念がみなぎり、周囲の力士をけちらしけちらし現在の地位を築いてきた。
やっと最近になって白鵬が横綱に昇進し、「一人横綱」は解消され、いよいよ大横綱としての道を歩もうとする矢先でのこの理解に苦しむ内容の制裁。

まさか白鵬が横綱に昇進したので用済み、とばかりに引きずり下ろしたとするならば、相撲というスポーツの歪んだ過去と現在というものを八百長という禁じ手同様またもや封じ、良く分からない日本固有の“文化”として世界に喧伝されていくことでしょう。
artisanyuh * 社会の時間 * 22:51 * comments(4) * trackbacks(0) * pookmark
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